皐月所馬ミホシンザンの軌跡

牡馬クラシックの初戦、皐月賞を予想する

ミホシンザンは輝かしい実績もさることながら、父親のシンザン最高傑作と言われるなど、多くの人を魅了しました。
幼少期は体つきがそこまでスマートでなく、評価はそこまで高くなかったものの、成長していくにつれて素質の部分がどんどん開花していきました。
デビュー戦は年明けの中山で、2着に9馬身差の圧勝という衝撃のデビューを見せます。
その後、条件戦を勝ち、皐月賞の前哨戦であるスプリングステークスでは7番人気という低評価だったにもかかわらず楽勝し、皐月賞に駒を進めました。
皐月賞では1番人気に支持されましたが、骨膜炎を発症しており、状態はあまり良くありませんでした。
しかし、ミホシンザンに運が向き、調教では霧が立ち込め、気合いを入れて走らせた直線だけしか見ることができず、それを見た記者たちがその走りを絶賛したことや、状態が悪いのを見せまいとする陣営の努力もあり、本番では横綱相撲というべきレース運びをし、2着に5馬身差の圧勝で皐月賞を制しました。
日本ダービーも期待されましたが、骨膜炎を発症した脚をかばった結果、骨折を引き起こし日本ダービーは泣く泣く回避し、菊花賞に照準を定めます。
休養明けのセントライト記念こそ苦手の不良馬場を前にミホシンザンは敗れますが、菊花賞では途中まで雨だったにもかかわらず、天候の急回復で馬場がいくらか渋った程度に落ち着き、皐月賞と同じようなレース運びを見せ、見事に勝利し、クラシック二冠を達成しました。
父シンザンとの父子制覇を果たし、シンザンのホームだった京都競馬場のファンにミホシンザンは温かく迎えられました。
その後のミホシンザンは有馬記念で当時最強のシンボリルドルフと対戦し、2着に完敗し、その後、脚部不安との戦いなどもあり、1年間は惜敗続きのレースが続きました。
しかし、今までの戦法を変えてみたり、陣営の懸命な努力もあって1年ぶりの勝利をアメリカジョッキークラブカップ、AJCCで上げると、次の日経賞も圧勝し、天皇賞春に出走します。
しかし、皐月賞以来の最悪の調子で迎え、ごまかしてなんとかせざるを得ない状況に追い込まれましたが騎手の好判断などもあり、常に内を回り続け、3200メートルごまかし切って優勝を果たしました。
ここで力尽きたミホシンザンは走ることなく、引退し、種牡馬入り。
その後、父子3代のクラシック制覇の夢を叶えられず、32歳という競走馬としては長寿の領域ともいえる年齢までその生涯を全うしました。